この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。
日本語と英語の共通点から文法を考えてみるシリーズ。
今回は「時制の考え方」、特に未来のことでも現在形、過去のことでも現在形を用いる用法について考えてみたいと思います。
目次
1.時・条件の副詞節
どの文法書にも書いてある有名なルールがあります。
ご存知の方も多いですよね。私はこのルールを習ったとき「変なルールだなあ」と思いながら、決まりだからと割り切って、何度も口に出して丸暗記しました。
「時・条件の副詞節は現在形、時・条件の副詞節は現在形、時・条件の副詞節は現在形……」といった具合です。
実際、このルールは一度覚えてしまえばあまり違和感はないと思います。
日本語でも同じような使い方をするからです。
「次にうちに来るときには、このあいだ貸した本を持ってきてね」
「もし海外旅行するなら、あいさつくらいは覚えておきなさい」
このような時、日本語でも未来を表す「だろう」などを用いませんよね。
「次にうちに来るだろうときには、このあいだ貸した本を持ってきてね」
「もし海外旅行するだろうなら、あいさつくらいは覚えておきなさい」
このような日本語は違和感がありますよね。
しかしなぜこのような場合に、日本語でも英語でも未来形を使わないのでしょうか。
これを理解するには「現実の時とこころの時」という発想が有効です。
2.現実の時とこころの時
時の捉え方として「現実の時」と「こころの時」という二本立ての考え方をするのは日本語も英語も共通しています。
「現実の時」とはまさに現実上の時間ということで、現実としてすでに起こっていることには過去形を用いる、現実としてまだ起こっていないことには未来形を用いるということです。
I happened to meet him on 3rd avenue yesterday.
昨日たまたま3番街で彼に会ったよ。
これは現実としてすでに起こったことです。ですから過去形を用いています。
実は過去形とは過去のことばかりでなく、「現在・現実から離れたこと」を表すのですが、この点についてはまた別の機会にご紹介します。
何しろ「彼に会った」ということは「現実の時」としてすでに起こっていることなので、英語でも日本語でも過去形を用いています。
According to the weather news, it will rain tomorrow.
天気予報によれば、明日は雨になるだろう。
これは現実としてまだ起こっていないことです。ですからいわゆる未来形を用いています。
willの本質は「推測」ですが、未来のことは推測の域を出ないので、willは頻繁に未来のことに用いるのです。
ともかく「明日雨が降る」ということは「現実の時」としてまだ起こっていないことなので英語でも日本語でもいわゆる未来形を用いるわけです。
これに対して日本語でも英語でも「こころの時」と呼ぶべきものがあります。
これは現実的には過去のことでも心情的に現在のことに感じられたり、現実的には未来のことでも心情的には現在のことに感じられたりするということです。
私、彼の誕生日に新しい財布を買ってあげたの。そしたらね、信じられる?彼ったら「よく見かけるデザインの財布だね」なんて言うのよ!!
最後の「言うのよ!!」の部分にまさに「こころの時」が表されています。
彼が「よく見かけるデザインの財布だね」と言ったのは現実の時としては過去のことです。
しかし彼女にとっては、彼の言葉が今まさに目の前で言われているように感じられているのです。せっかく新しい財布をプレゼントしたのにつれない対応だったことへの怒りがいまもふつふつとたぎっている感じです。このような場合、日本語では過去のことでも現在形を使います。
この現実の時とこころの時という考え方をベースにおいて、「時・条件の副詞節」の問題に再度アプローチしてみましょう。
3.「時・条件の副詞節」は「こころの時」
先ほど例として挙げた日本語に戻ってみましょう。
「次にうちに来るときには、このあいだ貸した本を持ってきてね」
「うちに来る」のは現実の時としては「未来」です。
しかしこのような話をするとき、話し手は相手が「うちに来る」ことをすでに起こっている現実としてとらえているものです。
つまり、相手が「うちに来ている」情景が目の前にありありと広がっているという感覚を持っています。「こころの時」としては「現在」のことなのです。そこでいわゆる未来形を使わず現在形を使うわけです。これを英訳すると以下のようになります。
When you come to my place next time, don’t forget to bring me the book I lent you the other day.
次も考え方は同じです。
「もし海外旅行するなら、あいさつくらいは覚えておきなさい」
「(あなたが)海外旅行する」のは現実の時としては「未来」です。
しかし話し手は頭の中ですでに「(あなたが)海外旅行している」情景をありありと思い浮かべています。「こころの時」は「現在」なのです。
If you travel abroad, try to remember at least greetings.
興味深いのは、日本語はこのような場合、過去形を用いることもあるということです。
「今度彼に会ったときは、この手紙を渡しておいて」
「もし車を買ったら、君を乗せて湘南を走りたいんだ」
厳密に言えばここで用いられている日本語は過去形ではなく完了形と捉えるべきです。
完了形は過去に起こったことが現在にも影響を与えているということですので、現在形に近い形で過去形が用いられていると解釈できます。
日本語における過去形と完了形の関係性は、英語の現在完了を理解する上でとても重要なので、また別の機会にご紹介したいと思います。
英語ではこのような場合、過去形を用いません。英語における過去形は「現在・現実から離れたこと」を表すので、こころの時が「現在」のときに用いることはしないのです。
まとめてみますと、「時・条件の副詞節」では現実の時としては「未来」であっても、こころの時が「現在」であるのです。ここをもって「時・条件の副詞節では未来のことも現在形」というルールがあるのです。
4.歴史的事実は現在形?
文法書には「歴史的事実は現在形で表す」とあります。
このような用法を「歴史的現在」と記述している文法書もあります。
歴史的現在……、なんとも謎めいた言葉です。
しかしこれも「こころの時」を考えてみればスッキリします。
先ほどの例をいま一度考えてみましょう。
私、彼の誕生日に新しい財布を買ってあげたの。そしたらね、信じられる?彼ったら「よく見かけるデザインの財布だね」なんて言うのよ!!
先ほども考えたように、この文で「言うのよ!!」は現実の時は「過去」ですが、こころの時は「現在」です。ですから、現在形で表すことができるのです。
I bought him a new wallet for his birthday present and can you believe? He says, “Oh, I see this design quite often.”
“He says”と現在形を使っていますから、こころの時は「現在」です。
いまもメラメラと怒りの炎が燃えているようです。
これを”He said”と過去形で言うことはできないでしょうか?
もちろん可能です。その場合、こころの時は「過去」ですから、現在形で言うのと比べれば多少は怒りが収まっているかもしれません。
もっとも会話には言葉そのもの以外に声のトーンとか表情などのファクターがあります。
いかに過去形で言ってもその表情や声音いかんでは、まだまだ怒りの炎が燃えている感じを伝えることはできます。
今回は「現実の時」と「こころの時」という視点から、時制に関する日本語と英語の共通点を考えてみました。参考にしていただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。