「○○は使わない!」は「使えない」人の言い訳

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「分詞構文は使いません!」「過去完了は会話には出てきません!」
英語の学習者だけでなく、英語の指導者からもこのような主張を聞くことがありますが、そんな言葉を聞くと筆者は「ゾッ」としてしまいます…
たしかに使用頻度の低い表現はあります。しかし、上記のような主張をする人の中には「普通に使う」表現も、「使いません!」と一刀両断する人が少なくないからです。
今回は「○○は使いません!」という主張を本当に信じてよいかどうか、検討してみたいと思います。

1.仮定法は「使いません!」の代表選手

筆者はいままで、幾度となく数多くの学習者や指導者から「仮定法は日常会話では使いません!」という言葉を聞いてきました。

仮定法は「使いません!」論者が例に出す代表選手と言ってもいいでしょう。

英語の初級~中級学習者がこのように言うのはやむを得ない場合もあります。まだ勉強が途上なわけですから。

しかし、英語の指導者からこのような言葉を聞くと、筆者は怒りさえ覚えます!いい加減なことを言って学習者を惑わすなんて言語道断!よくも「教師」を名乗れるものだと呆れてしまいます。

言うまでもなく、仮定法は活躍の場面が多い必須文法です。

近代日本文学を専攻し、明治大学教授を務められたマーク・ピーターセン氏は、日本人の英語について多くの示唆に富む研究・考察をされていますが、そのご著書『日本人の英語はなぜ間違うのか?』(集英社インターナショナル)の中で、「仮定法なしでは英語にならない」「仮定法は英語の基本」とまで言い切っていらっしゃいます。

そして日本人が書いた、また日本の学校教科書に収録されている「仮定法を使っていないがゆえに誤った奇妙な英文」を数多く例に挙げて、仮定法に習熟することの重要性を指摘されています。

2.あの名スピーチにも仮定法が!

Appleの創業者・スティーヴ・ジョブズが、2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、歴史に残る名スピーチとして広く知られています。

なかでもスピーチの結語“Stay Hungry. Stay Foolish.”(貪欲であれ、愚直であれ)は、特にビジネスシーンでは金言として仰がれています。

この2,246語、15分ほどのスピーチの中で、ジョブズは9回も仮定法を使っています

ある時は、大学を中退した自分の過去を振り返って、その経験がMacの美しいタイポグラフィ(印刷技術)につながったことを述べるために。

ある時は、毎朝鏡に向かい、自分のその日1日の行いが本当に意味があることを確かめることの大切さを述べるために。

またある時は、自らに影響を与えた名著に掲載されていた、美しい朝の光景をおさめた写真について描写するために。

ジョブズが仮定法を使っている部分は、すべて「仮定法抜きには」表現できない事柄ばかりで、読む人(聞く人)の心を強く揺さぶるこの名スピーチは、仮定法なしには成立しえなかったと言ってもいいでしょう。

このような実例に触れたとき、「仮定法なんて必要ない!」という英語教師に対する筆者の怒りは、ますます燃え上がるのです。

このような無責任なことを主張する人は、学習者から素晴らしい英語と出会う機会を奪っているようなものだからです。

3.「使えない」と「使わない」は別次元

仮定法を使った様々な実例があるにもかかわらず「仮定法なんて日常会話では使わない!」と主張する人がいるのはなぜでしょうか?

これは筆者の(やや手厳しい)推測ですが、そのように主張する人は自分自身が、仮定法をうまく使えないのです。

自分が上手く使えないので、仮定法が使われている英文に触れても、その英語に仮定法が含まれていることに気付いていないのではないでしょうか。

本人が仮定法を「使えない」ということと、仮定法が英語一般の中で「使われない」ということは、言うまでもなく全く次元の違う問題です。

それらを混同して「こんな文法は使わない!」「こんな単語は使わない!」とやたらと言う人を、簡単に信用してはいけません!

たしかに仮定法があまり使われない場面もあります。

仮定法は現実に反する事柄や、著しく可能性が低いことについて使う文法ですから、「事実重視」の場面では使われる頻度が下がります

たとえば報道ビジネスシーンでは「たら・れば」の仮定の話ばかりをしていても仕方ないので、仮定法が活躍する機会は少ないでしょう。

とは言え、報道にしてもビジネスにしても、コメントや世間話が挟まれることはよくあります。そんなときに仮定法が顔を出す場面はあるのです。

また日常会話では、仮定法はもっともっと活躍します。私たちも日々の会話の中で「あのとき~だったら」「今日~ならば」と、事実とは異なることを話す機会はよくありますよね。

たしかに言葉は時代とともに変わります。しかしその変化は、そんなに急激なものではないでしょう。
また急激に変化した言葉は寿命が短いものです。日本語でも「流行言葉」がしばらくすると「死語」になっていることはよくあります。
一方、文法書に載っているような事柄は、時代を経て定着しているものばかりです。そのような言葉は、「よく使われる」から歴史の荒波に耐えて残っているのです。
それらを簡単に「こんなものは使わない!」と言い切ってしまう人に出会ったら、一度立ち止まってセカンドオピニオンを聞いてみることをお勧めします。